2013年7月23日火曜日

十一発目・目的と手段

先ごろ、大々的に復活を遂げた

大御所のバンドですけど。

同日からCMバンバン打ちまくってますね。




でも、もうなんていうか

あの

歌詞が

宗教じみてて

怖いというか

「人の幸せを祈る」

って

そんな音楽がこの世の中に有ったのかと。


しかも、大別するとあそこは、ROCKに位置し、

元々ROCKといえば騒音やら反抗やら、

是とするもの、善しとするものの

否定から始まっているわけで。


それこそ、演奏家、立ち振る舞い、ファッション

薬物使用を含めて(薬物を肯定しているわけではない)

退廃的だったり疾走感だったりが

善しとするもの、大勢側、の反対に位置する

社会的反抗思想を持つ少数に

共感を得て成り立つものだと思う。


そこに平和や愛を唱えるもの、含まれるものがあっても

それは、是とするムーヴメントへの

反抗、反旗、抗議なのであって

みんなで仲良くの種類の思想は

童謡や学校内で扱う曲に

限定されているのかと思ったら


まー。


それが指す行方はもう、宗教だよと。


気持ち悪いねぇ。虫唾が走るねぇ。


その歌の出来如何によっては

所属事務所の株価にまで影響を与える訳ですから、

マンピーとか

エロチカとか

女呼んで揉んで抱いてとか

これまで、シングルや代表曲,

キラーチューンとも違う、所謂ネタ曲として

歌えていた「肯定」への反目、

社会上「隠微」なもの、「口憚る物」を

歌にした点で、

これは定義上コミックソングというよりは

This is ROCK なのですが

もう、そのターンも、通用しないのか

ライブで盛り上がるアルバムの一曲

という扱いになってきている事も事実な訳で。

悲しいかな。


携帯ヒットとか着歌ヒットの傾向が

機器の制限からまるまる1曲ではなく

1フレーズ、1センテンスの繰り返しだけで

良い曲と評価、判断され

すなわちそれが

ヒット曲の価値基準、評価数値になった。


そうなると、1曲を通して、一番、二番、三番と

トータルで描いてきた

内容は聞かれずに「無意味」となる。


単語と単語、文と文、

1フレーズと2フレースの対比など

空間、空白、行間を読む、なんて作業は

機器や配信データの制限で削がれて伝わっていく。


例・「もう○○なんてしないなんて、言わないよ絶対」

これ、「なんてしないなんて言わないよ絶対」を省き、

ここをソリッドな言葉に置き換える作業をすると

実に単純明快な断定。

「○○する。」

これを繰り返して、否定を含まない。


※ちなみに上記例の作詞家の近年における妙例が

 超短縮法による断定を確立している訳だ。

  「ランチタイムウオーズ」の繰り返しを聞くと良い

「ヒルナンデス。」

  番組名とのタイアップといえど

  機微、行間、を含まない単純明快の断定。

  極めて職業作家。


携帯着歌時代から始まり、パケット配信時代の

ポップソングとは、異論は兎も角、機器の制約を受けず

1フレーズ、1センテンスで言い切らなければならない、

機器の制約を受けず、

聞き手に耐性を求めない、

その、似た言葉の羅列。

そこに主語があるだけで。


例えば主語が「私」が

目的「あいたい」で成立する世界。


それも確かに気持ち悪いけど。


相手の都合は兎も角

「あいたい」を一日中繰り返す。

対象者が死んでいる、いないに関わらず、

視界にいないと「あいたい」んだ。

その先は犯罪者か病気を患うと

言わんばかりの偏執的執着。

で、それが叶わぬと理解するまで「あいたい」を言い(歌い)続け、

理解できる頃にはもう、目的が「あいたい」じゃなくて

「あいたい」と思っている自分が可愛いと納得して仕舞う

おそろしき自分中心のポジティヴ思考

もう、これも宗教ですけどね。


まぁ、それが共感として支持されるんだから

怖いというか相手というか相対的な立ち位置を

思考しない人多くなってきてるんでしょうね。

あーやだやだ

(修正加筆の上、転載、再掲載)

0 件のコメント:

コメントを投稿